第一弾~野球評論家 張本勲さん~

第一弾~野球評論家 張本勲さん~

人生は苦しくて寂しいもの。 でも、つらいときほど自分に負けないでほしい。

 通算3085安打達成という史上唯一の大記録を始め、数々の日本記録をもつ日本プロ野球界屈指の強打者・張本勲さん。

天才バッターと呼ばれたその素顔には野球への執念と血のにじむ努力、そして鋼のように強い精神力がありました。

プロ野球選手になって 最愛の母に楽をさせたい

私がプロ野球選手を目指したのは、戦後の貧しい時代でした。私の生まれは広島で、5歳のときに原爆にやられましてね。なんとか生き残った人たちも、みんなその日食べるのに必死でした。

 

中学一年のときでしたか、そのころ広島球場へ行って野球観戦するのが楽しみでした。もちろんチケットなんか買えませんから、友達と球場の周りの木に登って、広島カープ対巨人の試合をタダ見していたんですよ。試合が終わって球場を後にする選手たちを待って、宿舎までついていくんです。あこがれの選手のユニホームに触りたくてね。そこで見た光景はいまでも忘れられません。見たこともない分厚いステーキに銀シャリ。「プロ野球選手になったらこんなごちそうを食べてぜいたくな暮らしができるんか」と。以来、私はプロ野球選手を目指し始めたんです。

 

もうひとつ、女手ひとつで育ててくれたおふくろに楽させてやりたいという気持ちがありました。あのころは本当に貧しかったからね、その苦労といったら測り知れませんよ。ある冬の、雪が降るほど寒い日でしたか。まだ5~6歳だった私は、外でベーゴマなんかをして遊んでいたんです。そこへおふくろが遠いところから下駄履きでね、買い物袋を提げて帰ってくるんですよ。私は何か買ってきてくれたんじゃないかと思って、駆け寄って行ったんです。そのとき握ったおふくろの手の氷のような冷たさ。驚いて、「おかあちゃん手袋しないの?」って聞いたんです。そしたら「おかあちゃんは寒くないのよ」って…。手袋なんか買えなかったんですよ。お金がなかったからね。そんなことも知らない子供の私は、無邪気に「わあ、お母ちゃんは強いんだなぁ」って思っていました。

でも、プロ野球選手の宿舎で選手たちの夢のような暮らしを見たとき、6畳一間のトタン屋根の家で働きづめの母の姿が心に浮かびました。私は子供のころから母の寝顔をみたことがないんですよ。夜遅くまで働き、朝は早くから台所に立っていた。そんな毎日でも愚痴をこぼすこともなくて…。そして「絶対にプロ野球選手になって母に楽をさせるんだ」と決意したんです。

がむしゃらに夢を追った ロマンの時代

Cut2017_0118_1120_38 私の人生を語るうえで欠かせないのが太平洋戦争でしょう。原爆当日のことは今でも鮮明に覚えています。人肉の焼ける匂い、夜中の叫び声、そして水を求めて川に飛び込む人々…地獄とはまさにあのことです。思い出すのも苦しいけど、絶対に忘れちゃいけないと思いますね。広島、長崎で亡くなった方々…これは犠牲じゃなくて我々の身代わりなんですよ。だから知らなかったじゃ済まされない。純粋無垢な子供、青少年、優秀な人もおったでしょう。それを一瞬にして奪いましたから。さらに被爆者は「近寄るな」と差別された。戦後70年が過ぎましたけど、まだ終わっていないんですよ。

戦後は復興に向けて、誰もが生きることに必死でした。いい給料もらいたい、いい生活をしたい、おいしいものを腹いっぱい食べたい…それだけが目的で夢を見ていた。確かに苦しかったけど、今思うとロマンがありました。

 

私もプロ野球選手を夢見て、大阪の高校で練習に明け暮れていました。10歳年上の兄貴がおるんですが、仕送りをしてくれてね。タクシー運転手の職で稼いだ2万3千円の給料の中からなんと1万円も工面してくれた。当時25歳ですよ。一番遊びたい盛りに、私のためにお金を用意してくれたんです。その恩に報いたい、絶対にプロ野球選手になってやると死にもの狂いでした。

高校3年のとき、晴れて東映フライヤーズの入団が決まりました。契約金は200万円。家に帰っておふくろに見せると、その途端「うわーっ!」と驚いて「お前また悪いことしたんか!」と(笑)。ちゃんと説明したら、ものすごい笑顔を浮かべてね。あんなうれしそうなおふくろの顔、見たことありませんでした。そのとき、親孝行できたな、と思ったもんです。おふくろも兄貴ももう亡くなっていますが、私の枕元には二人の写真が飾ってあるんですよ。

人生の8割5分は苦しい。それが人間の宿命

これはあまり語ってきていないんですが、私は右手が不自由なんです。4歳のころ大やけどを負って。小指が焼けただれてなくなってしまってね。中指と薬指は癒着して、親指と人差し指は内側にひん曲がっている。棒切れすらうまく握れない状態でした。プロに入ってからも、一日でも練習を休んだら相手に負けると思って、毎日4時には起きて素振りをしていました。

ですから、現役中はどんなに成績を残しても不安で気が休まるときはなかったですよ。もし、もう一度生まれ変わったらプロ野球選手になりたいか?と聞かれたら、右手がこの状態だったら「なりたくない」と答えます。それほど苦労の連続で、うれしいことがあってもほんの一瞬でした。

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でも、それが人間の宿命というかね、人生の8割5分は苦しいですよ。しかし人間として生きていたら、残りの1割5分は楽しいことがあるでしょう。私も娘が生まれたときには「あぁ、人間として生まれてよかったな」と幸せを感じました。あるいは運動をして汗をかいてシャワーを浴びて、好きなビールを飲んだときとかね。ちょっとでもあるじゃないですか。人生は苦しくて当然、寂しくて当然なんです。だから皆さんには人生の勝ち組になってもらいたい。どんなに苦しくても、生を全うする勝ち組にね。えらくなるという意味じゃない。最期の寿命がくるまで生き抜くことが勝ち組なんです。

私の健康法といったら、毎朝の散歩。雨が降ろうが雪が降ろうが1時間歩く。距離にして7キロです。汗びっしょりになりますよ。それと週1回のゴルフ。あとは月曜から金曜まで出かけて、好きなものを飲み食いしていることでしょうね。あなたみたいに元気な人はいないって言われますよ(笑)。

皆さんにはとにかく体を動かしてほしい。

Cut2017_0118_1441_24 外に出なくてもいいからね。ストレスを避けるのは難しいけど、体はいつでも動かせますから。足が悪かったら上半身だけでも。特に嫌だなって日にこそ、ぜひ動かしてもらいたい。自分自身に負けちゃ駄目ですよ。健康あってこその人生ですから。 そして一日でも長く生き抜こうじゃありませんか。

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